たしかに、論理的な正確さや厳密さが、数学として欠くことのできない一つの性格であることには疑いの余地がない。だが、数学のなかにはそれ以外のいかなる要素も存在しないのだいろうか。数学者は論理という鉄仮面のなかに閉じこめられた哀れな囚人にすぎないのだろうか。
原子物理学者は数学の力をかりて原子核のなかまでもぐりこむことができたし、また天文学者は数学の翼にのって星雲のかなたまで飛行することができた。それならば、鉄の仮面のように頑ななものがどうして原子核のなかまで入りこむことができたであろうか。また鉄の仮面のように重々しいものがどうして星雲の向こう側まで軽々と飛んでいけるのだろうか。
「数学の本質は自由性のなかにある」これは集合論の創始者カントールの有名な言葉である。同時にまた偉大な日本人の数学者関孝和(1642-1708)がみずから「自由亭」と号していたことが思い起こされる。
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